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【サウナと経営 vol.1】天然温泉 満天の湯・久下沼 伊織さん(常務取締役) 《前編》

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はじめに

新シリーズ『サウナと経営』のスタートです。この企画は「(僭越ながら)僕が優れている部分があると思うサウナ施設経営者さんに対し、経営に対する想いや考えをお伺いする」というものです。

企画の背景としては、現状「多くのサウナ施設の経営にその場しのぎっぽさがを感じて、長期的にみたら安全とは言えないのでは?」と僕が個人的に感じているからです。サウナ好きの僕としては、その未来は回避したいものです。じゃあそのために何ができるかと考えたときに、「経営に役立つ情報をヒアリングしてシェアしよう」と思いました。

そのひとつの形として今回の企画を思いついたわけですが、僕は真っ先に「初回は必ず満天の湯の久下沼さんにお願いしたい!」と考えました。というのも、久下沼さんとは面識があって何度もお話しており、中長期的な未来に対してのリスク回避の精神を常に持ち、それを施設運営にきちんと反映させている方だと知っていたからです。僕が思い描く「シェアしたい情報」を、久下沼さんは既に持っておられることがわかっていました。

そこである時お会いしたタイミングでオファーをさせて頂いたところ、「是非に!」というご快諾のお言葉をいただき今回のインタビューが実現しました。

施設に勤める方にこそ読んで頂きたい内容ではありますが、利用者として読んでみても「施設ってこんなことを考えているんだ!」と、きっと新たに知れることが多く楽しんでいただけると思います。

前編後編に分かれたロングインタビューになりますが、ぜひ最後までお付き合い頂けますと幸いです。

プロフィール

久下沼 伊織(くげぬま いおり)
大型競合店出現などの不利な状況でも過去最高益を更新し続ける開業17年超のスーパー銭湯『天然温泉 満天の湯』を運営。全国の温浴施設が視察に訪れるバックヤードマネジメント術に定評がある。
生きる楽しみは「食う・寝る・(風呂に)浸かる」。オフロ保安庁長官やOFR48劇場支配人などの肩書きももつ。

インタビュー《前編》


–– 久下沼さんは常務取締役という肩書きですが、常務というポジションは経営的にはどのような役割を担うのでしょうか?


常務の立場としては「事業の責任者」になりますね。店舗経営における実質的な判断だったり、方向性を決定していくポジションです。そういった判断や決定事項を支配人以下の社員に対して伝達していきます。また、年間の事業計画や中長期的な計画策定も行います。設備投資をどうするかとか。

ちなみに、うちの会社は、スーパー銭湯経営がグループにおける主たる事業なんですよ。他の温浴施設では不動産ビジネスの余暇事業だったり、グループ会社における社会貢献の役割としての事業だったりするところも多いんですけど。

だから、他のところだと「温浴事業で多少赤字が出てもグループとして黒字ならOK」みたいになったりするところもあるんですけど、うちは温浴事業でしっかり利益を出していかないといけないという切実さがありますね。


–– 普段はどのような経営を心がけていますか?


端的に言えば、「バランスを取ること」「施設が会社のビジョンを体現する場であること」「自分が利用して心地よい空間にすること」を特に意識しながら経営しています。

うちの施設はハードよりソフトで勝負している施設なんですけれども、そういう方針になった経緯としては、数年前に近隣に大資本のスーパー銭湯が現れたことがきっかけなんです。相手は大資本だしうちより新しく出来たわけですから、ハード面が充実していて。

それまでは近隣に競合がいなかったので、普通に経営していれば普通にお客さんが来るような状態だったんですけど、それが初めて「普通にやっているだけでは経営が傾いてしまう」という危機感を覚えたんです。

かといってハード面で勝負しようとしても大資本に敵うわけがないですし、ハードに頼ると「慣れてしまったらそれが魅力に映らなくなる」こととか「それを上回る施設が出来たら終わり」みたいなリスクもあると思ったので、それだったら「ソフト面で勝負していこう」となったんです。

競合の出現に対する捉え方も「敵」と見なすのではなく、近隣住民でまだ温浴施設を利用したことがない層に利用するきっかけをくれるありがたい存在だと考えるようにしました。そうやって温浴施設を知った人たちがうちにも目を向けてくれるように、ソフトが飛びぬけた温浴施設になろうと。


(※満天の湯 外観)


–– 「ソフト」というのは具体的にはどのような要素を指しますか?


まず最初に取り組んだのは「接客」ですね。それまでもうちは比較的接客についてはそこそこの評価を頂いていたんですけど、それはたまたまそういうスタッフが居ただけで意図したものではなかったんです。それを明確に「『接客力の強化』が会社の方針」として打ち出しました。どのスタッフが対応してもお客さんから評価されるようになろうと。

より具体的なイメージとしては、目の前にいるお客さんは「私に会いに来た方です」といえる位の距離感でおもてなしし、いつでも気楽に来れる、話せる施設にしようと考えました。


–– 「接客力の強化」はどのように実践していったんですか?


もちろん最初にスタッフたちに対して「そういう方針でやっていきます」と伝えたわけですが、それに対して抵抗感を示すスタッフも多くいました。実際それが原因でお店を離れていく人もいました。でもそれはもうしょうがないことだと割り切って、その方針を理解してくれた人たちと目指す世界観を作り上げていこうと腹をくくりました

また、うちの会社は元々アミューズメント施設も運営していたんですけど、そこでのビジネスモデルが「お客さんとスタッフが一緒に遊ぶことで滞在時間を延ばして客単価を上げていく」というものだったんですね。

だから、お客さんに喜んでもらうための接客のノウハウ自体は異業種ではあれど持ってはいたんです。それを基に、温浴業界にフィットするものを取捨選択して落とし込んでいきました。


–– 具体的にはどのような取り組みを行ったんですか?


スタッフ教育の事例としては、オリエンテーションでの啓発がひとつ挙げられるんですけど、「お声掛けをどんなにきちんと行っても、お客さんがリアクションしてくれなかったらそれはただの独り言に過ぎないですよ」というのを繰り返し伝えました。相手に届いていないのにやった気になって自己満足してしまうのが一番良くないですからね。

その延長として覆面調査も行っています。それを行うことで、自己満足になっているかそうでないかが明確になりますから。でも、ただ漫然と覆面調査をやって結果を報告しても効果が不十分なので、いかにスタッフ自身が積極的に「自分のところに調査員が来るように!」と思えるマインドを持てるようになるかという課題にも取り組みました。

その一例が「おもてなし総選挙」という企画なんですけど、これはお客さんに「受けて嬉しかったスタッフの接客」についてエピソードを書いて投票してもらって、得票数順でランキングを発表するというもので、10年前から毎年実施しています。

一人一票制ではなく良い接客があったらどれだけ投票しても構わないというもので投票期間は一ヶ月間なんですが、初年度は3000件も票が集まったんですよ。投票したお客さんには何の還元もないのに関わらず、です。お客さんのそういう無償の愛の精神は本当にありがたいですね。

でもこの取り組みは、最初の頃はすごくスタッフからの抵抗が大きかったんです。やっぱり順位をつけられることを好ましく思わない人がいましたし、私がアイドルオタクだから「AKBの真似事をしたいだけでしょ?」と思われたりしました。

もちろんアイデアとしてはAKBの総選挙から着想を得ましたけど、決してただの真似事ではなくて、「スタッフもお客さんから見られて評価される存在であって、店舗を背負う立場である」ということを意識して欲しかったんです。だから評価されることには慣れていかなければいけないし、それをポジティブに受け止めるようになって欲しかったんです。



(※「おもてなし総選挙」投票所)


–– 実際に取り組んでみたことで変化はありましたか?


変化を明確に感じるまでは4,5年くらいかかりましたけど、ベテランのスタッフが受け入れてくれるようになると、新人も抵抗感なく取り組むようになってスタッフ全体のマインドが前向きになっていきました。

やっぱりスタッフ自身が何気なくやっていることでも、お客さんに喜んでもらえたことが可視化されると嬉しいんですよね。そういうフィードバックをもらえると「それを維持しよう、もっとやろう」というポジティブな気持ちが湧いてくるんです。減点方式ではなく加点方式の考え方です。

また、お客さんに喜んでもらえた事例を定期的に皆で共有することで、全体の底上げにもつながりました。全体における「普通」のレベルを高めていったことが、お客さんの想像を超えるという結果をもたらしたと思うんです。

そういうこともあって、ここ数年だとおふろのスタッフで0票だったっていうのはいないんです。


–– 0票がいないっていうのはすごいですね!スタッフ教育が結実した証ですね。


はい、それは管理者としてとても嬉しいことですね。他にもスタッフ教育や品質管理という点で言えば意識していることがいくつかあって、ひとつは「守るべきルールは明文化すること」です。

スタッフが悪い意味でルールを逸脱した行いをしてしまったときに、ただ指摘するだけだと感情論でのぶつかり合いになって平行線になってしまいがちなんですよね。でもきちんと明文化されていれば「ここにルールが書いてあって、あなたの行動はそのルールの範ちゅうを超えていますよね?」とロジカルに説明できるんです。そうすることでルールを守らせることができますし、もしそれを受け入れられないならうちではやっていけませんねと線を引けるんです。

また、「スタッフからの提案は検討した上で必ず回答する」ということもマネジメントの立場の人間には行わせています。

私は今は現場には立っていないので、スタッフが現場で感じて何か意見を出してくれるっていうのはとてもありがたいことなんですよ。でも、全ての提案を受け入れられるかというと、現実的に考えたときに見送らなきゃいけないものも出てきます。

そういう時に管理者がその意見を自分の中で結論を出して終わりにしてはいけないんです。見送った場合はどういう理由で見送ったかをスタッフに伝えるようにしないと、「自分の意見はスルーされちゃったんだ」と思ってしまいますよね。そうなるとそのスタッフは次から意見を言わなくなってしまうので、悪い循環が生まれてしまうんです。


(※「おもてなし総選挙」表彰式)


※ ※ ※


–– 安定した経営を実現するために必要なものとはどんなことでしょう?


「品質管理」に尽きますね。これは設備や人などどんなことにも言えることですが。施設のポリシーを全体にきちんと浸透させて、いつ来ても一定の品質が提供できるようにすることが安定した経営につながると思います。

その上で必要なもののひとつとして、「スタッフの仕事のマニュアルをきちんと作ること、履行されているか確認すること、更新すること」が挙げられます。新しく入ったスタッフには、まずはマニュアルに書かれていることを1から10まで覚えて実践できるようにしてもらいます。それができるようになってから、どう臨機応変に対応してプラスアルファを出していけるかという段階に入ります。ちゃんとした土台があってこその臨機応変です。そこは間違わないようにとスタッフには伝えています。

また、ちょっとした異変に敏感になることも大事だと思います。例えば、「今日はなんとなく臭いが変だな」と思ったらそれをそのままにせず機械室を確認してみる。そうすると機械が故障していたりして、未然に不具合や事故を回避できることがあるんです。

でも機械の異常に気付くためには、基礎として設備の仕組みをきちんと理解していなければなりません。なんのために換気が行われているか、なんのためにろ過機があるか、ろ過機のリスクはなにかなど、学ぶべきことは沢山あります。

温浴はリスクと隣り合わせで、一回の事故で経営が破綻してしまうことだってあり得ます。だからこそそういったことを勉強することが大事なんです。

最近のサウナブームで新しく個室サウナとかが出来たりしていますけど、温浴業というものは決して装置産業ではないということを強く伝えたいですね。設置して終わりではなくて、それをどうメンテナンスして維持していくか。管理・監督する人間がいつもいなければならない業種なんです。


–– お客さんには見えないところでの働きが安定経営の支えになっているんですね。


そうですね。他の例を挙げると、うちでは「機械室は絶対に濡らさないように」とスタッフに伝えています。もし漏水していたら、修繕するまでの応急処置でいいから水浸しにならないようにさせています。

なぜそうするかというと、もしその箇所を放っておくと、同時にほかの箇所で漏水したときにそれに気付けなくなってしまうんです。次の異変に気付かないと初動が遅れてしまいますよね。そういうところは口うるさく言っていますね。

つまるところ、品質を保つということは「不具合を発生させない努力をすること」だと言えると思います。

ちなみに、うちはコロナ前までは機械室の見学ツアーもやっていたんです。機械室っていうのは完全に裏側ですから、本来あまり見られたくない部分なんですよ。でも、そういう見られたくない部分こそ見られても恥ずかしくない状態にしておく姿勢を持つことが大事なんです。その姿勢があれば、自然と「見られるところはよりきれいにしよう」となりますからね。スタッフにそういう心構えを持ってもらうためにそのような取り組みをしていました。



(※修繕を行う久下沼さん①)


(後編へ続く)