ザっくりととのうサウナ入門

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【サウナコラム】なぜ、銭湯、または、サウナ。 / 子煩悩マスダさん

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サウナ初心者向けのこのサイト、閲覧しているのは、毎日のようにサウナに通うサウナーよりも、月に1回、シーズンに1回くらいしかサウナに行かない僕のような「まれサウナー」がほとんどじゃないだろうか。(「まれサウナー」という言葉があったとして)

普通に働いていて妻と二人の子どもがいる僕からして、お風呂が好き、サウナが好き、だけどサウナはお金がかかるし(家なら入浴剤入れても気分はほぼタダ)、時間もかかるし(移動時間とサウナで計2時間はかかる)、今日は遅くなっちゃったし(子どもは7時に寝かすから・・・)、そもそも子連れではサウナ入れないし(一度6歳の息子と入ったら2秒で外に出た)、家で入っちゃおっか、と、そういう選択をする。
そもそもサウナに行くと言うよりは、露天風呂もジャグジーも薬草もサウナもキッズ広場も食堂も全部くっついてとっても便利なスーパー銭湯に行く、という人の方がほとんどじゃないだろうか。(どうだろう。)
我々にはサウナ以外にもやらなければならないことがたくさんあるのだ。
というより、むしろサウナに行く必然性を見つけるほうが難しい。

それでも時たま無性に整いたくなる僕は、いつからか、銭湯に行く時には何かしら必然性をこしらえていることに気付いた。
意識していたわけでないが、「よ~し、明日からダイエットがんばるぞ~、じゃあ、景気づけに銭湯行くか!!」とか、「仕事も一区切り付いたし、いよいよ明日から『カラマーゾフの兄弟』読破に挑戦するか。よし、一度銭湯でこれまでの疲れをとっておこう」とか、そういうタイプの決意を抱きつつ、銭湯に行っている。
つまり、僕がスーパー銭湯に行くのは、「なんかいいきっかけほしい時」であり、大げさに言うと、「人生をポジティブなものに変える」ために行っているようなのだ。

露天風呂で半分だけ体を沈めてボケーっとしていると、それまでの悪い記憶とか、運気的な何かとか、汗と一緒に流れ出て、ゆらゆら揺れる体毛を眺めていると、風呂から上がった時に、色々な面倒ごとをひっくるめてまぁいいか、と思えるのだ。
満足そうに風呂に浸かっているおっさんどもを見るにつけ、「たぶんこの人たちも同じような思いを抱きつつここにきているのだろうなぁ」と、おっさんになった僕は勝手に思っている。
つまり、スピリチュアル的な「リセット効果」、千と千尋の神隠しの舞台が銭湯なのは、たぶん超自然的な理由があることだろう。(知らないが)

問題は、風呂に浸かって家に着くまでは気分がいいのだが、家ではこれまで通りの現実が待っていることである。
よくよく思い出してみると、銭湯でリセットに成功したことは一度もない。(おそらく。)
このようなとってつけた決意(いいわけ)では、次の日もダイエットはがんばれないし、『カラマーゾフの兄弟』の10ページも読めない。
銭湯にとっては、僕のいいわけめいた必然性で人生を変えろといわれているようなもので、はなはだ気の毒な話であるが。

それでも、何かしらのいいわけをこしらえて、銭湯に行くことをやめられない僕が居る。
銭湯(サウナ)の素晴らしさは、理由をこしらえざるを得ないほど何の役にも立たないこと、無に近い気持ちよさをひたすら味わうだけ、というところにあるのだろう。

見ず知らずのオッサンが全裸でひな壇に並び、汗をダラダラ流しながら、テレビを見てほくそえんでいる。
息を吸うと蒸発したオッサンの汗が鼻の穴から僕の体に取り込まれていくようだ。
水風呂では、汗だくのおっさんがフーフー息を吐きながら、水風呂に体を沈めていく。
おっさんのしょっぱそうな汗が揺れる水面を伝って僕の方に流れてくるのを見ながら、僕はじんじんしてくる両手を感じて、まだまだずっとここに浸かっていたいと思う。

なぜそれをもう一度体験したくなるのか、人に対して、どころか、自分に対して説明することすら、難しい。