はじめに
2023年の11月に『オフロ保安庁』主催の第一回全国サミットが開催された。
温浴施設で働く人と業者の方を集めてセミナーと展示会を並行して開催し、交流会も行う内容だったことに興味を惹かれた僕は取材依頼をして現場を見させてもらった。
とても内容の充実したイベントで、温浴業界の未来に光をもたらすものであると感じた。
今回は、そんなイベントを企画したオフロ保安庁の長官である満天の湯 久下沼常務に、オフロ保安庁の誕生から全国サミット開催までの道のり、そしてその後の展望をインタビューさせていただいた。
プロフィール
▼久下沼 伊織(くげぬま いおり)
大型競合店出現などの不利な状況でも過去最高益を更新し続ける開業18年超のスーパー銭湯『天然温泉 満天の湯』を運営。全国の温浴施設が視察に訪れるバックヤードマネジメント術に定評がある。
生きる楽しみは「食う・寝る・(風呂に)浸かる」。オフロ保安庁長官やOFR48劇場支配人などの肩書きももつ。
インタビュー
オフロ保安庁の歴史
ーー オフロ保安庁の歴史について教えて頂けますか?
最初に「オフロ保安庁」っていう名前が出たのが2012年の11月26日なんですね。OFR48結成の翌年に誕生したユニットだったんです。
おふろの国の店長を務める林さん主導で、機械・設備系が得意な施設の人たちを集めた男性ユニットを作ることになって、その日のイベントで『FUROYA-IKOYA』っていうオリジナル曲を歌ったんです。
メンバーは15人くらいでしたが、「正式なメンバーとして今後活動していきます!」みたいな感じじゃなく、同じTシャツを着て歌おうよ程度の余興的な感じでした。
そのユニット活動自体はそれっきりになるんですけど、その後も「オフロ保安庁」という名前だけは残っていたんです。
僕は元々、機械をいじることが好きでしたが、それを林さんに見出されて「機械を語れる人が必要だから、とりあえず長官としてやってみてください」と言われたんです。もう、林さんの無茶ぶりですよね(笑)
その当時の『湯きちマガジン』(『月刊サウナ』の前身雑誌。以降:湯きち)で、そういう機械・設備のことを語る機会があって、0号と1号は特集として対談をしたんですが、林さんに「今後もお店で起きたことを書いてください」と頼まれて、2号から私の連載が始まったんです。
そうして「こんな故障があってこういう対処をしました」とか「こんな薬品を使って掃除をしてみました」という記事を月イチ連載で4年間書き続けました。
その後、湯きちが『月刊サウナ』にリニューアルするタイミングで一旦辞めましたが、しばらくしてまた林さんから「月刊サウナで連載を再開させましょう!」と誘われてまた書き始めて、現在累計で110回ほどになっています。
もう10年近く連載していることになりますね。
執筆活動はそんな感じでゆるくやっていましたが、それ以外ではオフロ保安庁の報告会イベントをOFR48のライブにくっつける形でやりました。歌舞伎町の小さなライブハウスで。
内容は、修繕や清掃などの事例発表会みたいな感じで、「こんなのが大変だったんだよ」とか「こんな水漏れが起きてこういう対処をしたんだよ」みたいな話を、色んな施設の支配人が集まって発表し合いました。
苦労話をシェアする中でいろんな情報が入ってきて、トラブル解決策や知らない製品を知れたりと情報交換の場として機能していましたね。
そういう雑談の延長的なことを年1程度のペースで何度か開催したり、自身のSNSでも日常的にそういう発信をしていたら、自然と機械の情報が入ってくるようになっていましたね。
「こういう場合はどうしたらいいのか?」という相談の電話がかかってきたこともありました。
ーー 久下沼さんはオフロ保安庁の結成当初からX(前:Twitter)上で長官を名乗っていたんですか?
とりあえず結成したときからプロフィール欄には「オフロ保安庁」というワードを載せていました。
また、保安庁の名前こそ使っていませんでしたが、SNSと湯きちでの発信と並行して、衛生管理のセミナーや温浴支配人育成塾などで講演や授業を持つこともありました。
それで徐々に僕が機械に詳しいことの認知は得られていったと思うし、オフロ保安庁という名前も認知されていったと思います。
なので、当初のオフロ保安庁という枠組み自体は、団体で何か事業をやってきたわけではなく、サークル活動的なノリでみんながネタを持ち寄って喋るみたいなぐらいのゆるい感じでした。
メンバーにも入会要件はなく、「機械のことが好きだったら保安庁だよ」みたいな。林さんが一方的に保安庁Tシャツを送りつけて「あなたはいまから保安庁のメンバーです!」と引き込んでいました(笑)
機械室が好きになった背景
ーー 久下沼さんはいつからそんなに機械のことが好きになったんですか?
実は僕が支配人になってすぐの頃に衛生管理関連のトラブルを経験して、それをきっかけに機械設備や衛生管理への関心が高まったんです。
自分自身が全然そういう知識を持っていなかったことを痛感したので、そこからいろいろ独学で勉強しました。
装置がどういう仕組みで動いているかや、トラブル予防のためにどうしたらいいかなどということを、色んなセミナーに参加したり業者さんに直接話を聞いたりしました。
ーー でも勉強するにしても、当時はインターネット上に情報なんてなかったんじゃないですか?
実際そうでしたね。なので、セミナー参加がメインの情報源でした。でも施設運営者向けのセミナーというものはなく、技術者や保健所職員向けの、理論や理屈を話すような内容のものしかありませんでした。
だからセミナーに参加しても「理論はわかったけど、じゃあ実際の現場でどう生かすのか?」という疑問が生じていたので、それについて設備屋さんなどの施設に出入りする方々に質問して話を伺っていました。
また、設備屋さんたちがどんな作業してるのかを見て理解することで、彼らの見積もりが理解できるようにもなっていきました。必要な項目かどうかの取捨選択ができるようになったことで、お互いに良い緊張感が生まれましたね。
トライアンドエラーで高めた知見を施設に還元
また、配管の構造も自分で理解しないと制御できないので自分自身で調べました。配管の図面があったところでただ紙に書いてあるだけだとわからないから、自分で現物の配管を見てイラストに起こしたんです。
目視でたどって、「ここで管が別れた」「これはこっちに行く配管で、あれはあっちに行く配管か」っていうのを全部書き起こしたあとで図面と照合しました。
図面で得られる理屈と実際の配置がつながることで、「こういう理屈で水が循環しているんだな」と理解できましたね。
そうすると「ここにバイパスがあるんだ」「それならばこの弁が駄目なときはここを開ければ水が回るんだ」とか、いろんなことがわかってくるんです。
機械は割と何でもスイッチを押すだけで全部のものが自動で動いてしまいますけども、修繕までやることを考えるとそれだけでは何もできないですよね。
ーー 例えば、機械の説明書の読み込みとかもきっちり読み込むんですか?
説明書はあんまり読まないんですよね、実は。理屈よりも体験派なので自分で色々触っちゃいます。それで痛い目に遭ったこともいっぱいあるんですけど(笑)
でもトライアンドエラーを重ねると、「こうしたら良いかも」っていう勘の精度は高まっていくんです。当時はそれを頼りに、いかにその場で早く解決するかを重視していました。
機械の故障でお客さんにご迷惑をかける時間を短くしたかったし、前線でお客さまに謝罪し続ける現場スタッフのためでもありました。
その積み重ねで溜まった知見を生かしてシステム化したり、教育に落とし込んでいくということもやりました。
僕以外に他の社員にも機械を学ばせたことで、施設としての運用レベルは一段上がりましたね。
例えば、何かしらの障害が起きたとき、昔なら「お湯が噴いています!」みたいな現象面だけの報告だけだったんですね。
でも今は、支配人や店長あたりなら「こんな症状が起きてて、たぶんこれをこうすれば解決すると思うのでやっても良いですか?」とか「今こういう材料があるので、こうやって対処していいですか?」などと具体的に連絡がくるようになったんです。
ーー かなり障害報告の解像度が高くなったんですね。
機械のことはどうしても経験値頼みになる側面もありますが、でもやっぱり仕組みがわかっていれば解像度は高まりますよね。
僕がいないと障害対応できないっていうのは運用として危ないですから、組織として安定運用していくために、誰がやってもちゃんとその対応ができる仕組み作りが必要です。
他の施設などでは機械関係は専任の一人に頼りきりで、その人が欠けたら誰も機械を動かせないとか、塩素の管理をしている人が不在だと何もできないという様なことが起こりがちなんです。
ーー 属人的になりすぎてしまうことの弊害ですね。
はい。なので知識をシェアして、管理できる人員を複数配置しておくのがとても大事なことだと思います。営業時間が長くてスタッフの交代が発生する施設ならなおのことそうです。
発信することへの使命感
いろいろ話していくと、改めて自分が支配人になりたてで経験した衛生トラブルが大きな契機になっていると感じますね。
日常業務だけでは機械のことを知るタイミングもなかったし、当時はトラブルのリスクを自分事として思えてなかったと思います。
でも当事者になってからは、同じような苦い経験をする施設の人を増やしちゃいけないし、お客様にも迷惑をかけちゃいけないという責任感を持つようになりました。
温浴業界でそういうことが頻発してしまったら、下手したら業界の存続に関わりますからね。自分の店舗だけでなく、業界全体を維持するためにも警鐘を鳴らし続けようというのが今の活動のモチベーションです。
なので、セミナーや交流会などで登壇する場ではできる限りオープンに情報をシェアするようにしています。それは情報ビジネスということではなく、業界を底上げする気持ちでやっています。
ーー 発信していく中で、登壇する機会も増えていきましたか?
増えましたね。僕の発信は現場目線のものになりますが、それを伝える人って少ないんですよ。
業者さん目線の発信はあるんですが、どうしても技術者レベルの理論的な話になってしまいがちで、現場の人にはイメージしにくいことが多いんです。
もちろん理論は大事ですが、それをイメージできるようにしないと生きた知識にはならないと思っています。
だから、僕が登壇する時は現場で作業する人がイメージできるように現場感を踏まえた話をするようにしています。
例えば、「普段みなさんここをこうやっていますよね」「これってこういうふうな意味があるんですよ」「だからこういうふうにしなきゃいけなくて」「これを怠るとこうなっちゃうんですよ」という感じで。
自分が現場で手を動かしてきたことだから自信を持って言えるし、受講者さんも日々現場で同じものを見ているので、お互いにイメージが共有できるんですよね。
『ニッポンおふろ元気プロジェクト』の発足
最前線のスタッフをきちんと機能させるためには、やはり支配人や店長などの管理者がちゃんと機械管理や衛生管理のオペレーションを構築する必要がありますし、それがちゃんと行われてるかを日々チェックする必要があります。
みなさんが想像している以上に施設の支配人ってやることがいっぱいで、オールマイティさが求められるんですよ。
かと言って、自分の店舗だけで頑張ろうと思っても身近に相談する相手もいないものです。それで自力で頑張りすぎて疲弊して、優秀な人が辞めてしまうっていうのは温浴業界では起こりがちなことなんです。
それはすごくもったいないので、そこをサポートできる組織が必要だなと感じたこともあって、『ニッポンおふろ元気プロジェクト』という社団を設立したんです。お風呂屋さんで働く人たちを輝かせたいという想いも込めて。
僕は、温浴業界の方々には誇りを持って働いてほしいんです。現状では大学を出てまでこの業界に入ると「なんで風呂屋に就職?」みたいなネガティブなイメージが少なからずあると思うんです。
でも今後は新卒の方が胸を張って来れるような業界にしたいんです。周りから「風呂屋に勤めることになったなんて大したもんだな!」って言われるぐらいの。
そういう業界になっていかないと明るい未来が見えないですよね。
そのためには温浴業界全体の意識レベルを上げていく必要性があると感じています。コンプライアンス的なことも含めて。
(2/4につづく)
《つづきの記事》
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