はじめに
スーパー銭湯「おふろの国」のカリスマ熱波師・井上勝正さんとは以前から懇意にさせてもらっていたが、初夏に突然「おふろの国を離れて独立することにしました」という連絡が来た。僕は「遂に来た!」と気持ちが高ぶった。サウナ界隈にどことなく閉塞感を感じていたが、井上さんがそれを打ち破ってくれるかもしれない。
井上さんが何を考えて独立したのか、その真意を問わぬわけにはいかない。そうして井上さんにアポイントを取り、いつものように飲み屋でしこたま酒を飲み交わしながら、井上さんの心のうちを深く掘り下げていった。
今回は奥様のtamamixさんも途中から合流し、夫・井上勝正の姿も伺った。多面的に井上さんを捉えられて、とても興味深かった。
サウナについて、また生きることについてとても含蓄のある内容になっているので、井上さんを知っている方も、そうでないサウナ好きにもぜひ読んでみて頂きたい。
プロフィール
井上勝正(いのうえ かつまさ)
本名:井上 富文(いのうえ ひろふみ)
1970年〈昭和45年〉1月7日 生まれ。
大阪府生野区出身。
元プロレスラー、熱波師、JSNA熱波師検定講師。
ドイツサウナ協会公認熱波師。
ゴールドエクスペリエンスレクイエム株式会社 代表取締役社長。
インタビュー
井上勝正と聞けば「あぁ、あの人ね」とイメージしてもらえるような存在になりたい
ーー ようやくというか遂にというか、井上さん、独立されましたね。今回どういう経緯で独立に至ったんですか?
僕はサウナ界隈ではある程度の知名度を得ましたが、それはごく狭い世界のことでしかないと認識しています。でも僕はもっと知名度を高めたくて、サウナと同じくらい自分が有名になりたいんです。
サウナって好き嫌いは別にして、日本人ならみんなそれがどんなものか知っているじゃないですか。僕も井上勝正と聞けば「あぁ、あの人ね」とイメージしてもらえるような存在になるつもりです。
そのためには自分で責任を背負う立場になって、色んなメディアに出たり未知のことへも挑戦する必要があると考えて、独立という選択をしました。
ーー 井上さんは何のために有名になりたいんですか?
目的は三つあるんですが、一つはシンプルに、家族の生活を成り立たせるためには世の中から求められる人物であり続ける必要があると考えています。そのためには大衆に受け入れられないといけません。
二つ目は、サウナに携わる専門家として著書を出したいと思っているのですが、そのための知名度がまだ不十分だなと思っています。
三つ目は、僕の過去のキャリアであるプロレス業界にも還元したいという想いがあります。
今でもほんの少しは貢献出来ているかなとは思います。プロレスラーのセカンドキャリアは厳しい現状ですが、僕は熱波師に転身してそれなりにちゃんとやれているわけで、そういう成功事例があるよという可能性を示せているかなと。
その事例をさらに多くのメディアが取り上げてくれるようになったら、現役でリングに立っている人に対して今以上に安心感を与えられるんじゃないかなと思うので、それを実現させたいです。
ーー 僕の周りでの話ですが、井上さんの独立にワクワクを感じている人は多いですよ。
サウナ業界について言えば、施設なりコミュニティなりがある程度盛り上がれば充分かなと思うんですよ、正直。
でもある程度の盛り上がりを得るのも簡単ではないんです。まずはその組織に所属する人たちをポジティブにして内側のボルテージを上げていかないといけません。
そこからさらに外側も巻き込む意識を自然に浸透させていく必要があるんです。
これが難しいのが、そういうことを現場だけで行うのではなく、運営会社や上層部の理解を獲得した上で数値的な結果を出す必要があるところです。そうしないと継続的な活動ができないですから。
そこまでやってようやくある程度の盛り上がりが得られる可能性が生まれるんです。結局「類は友を呼ぶ」という言葉通り、自分たちが閉じてしまったらもうそれ以上は大きくなりようがないんです。
その点でいうと、今の僕はもっと自分を外へ外へと出していきたい。今以上に井上勝正という存在を盛り上げたいんです。厳しい道のりであることはわかっていますが、実現できるよう前進していきます。
施設運営に話を戻せば、会社が所属スタッフのモチベーションを上げられていない施設が多いなと感じます。お客さんはお風呂やサウナが好きで入りに来ているのに、提供する側がそんな状態ではお客さんに違和感を与えてしまいます。
それを防ぐため、またスタッフ自身の業務への自信を持たせるためにも、お風呂やサウナの効果・効能についてきちんと根拠をもって語れるような社員教育も必要だと思います。
設備維持や安全保障のために各施設は大変なお金をかけています。それを最大限に活かすためにも、僕は全ての温浴施設がもっと社員教育と意識向上に本気で取り組んでくれたらなと心から願っています。
ーー きちんとした理論や自信を持って接客していれば、お客さんとの信頼関係も生まれていきそうですね。
そう思います。ちなみに、施設に限らず皆さんに伝えたいのですが、現代はちょっとの興味さえあればたくさんの情報にアクセスできる時代じゃないですか。それなのに情報を取りに行かないっていうのは、僕はそれは怠慢だと思うんです。
せっかく無限の世界が広がっているんだから、踏み出す勇気を持とうよと。アクセスの手段がわからないなら誰かに頭を下げたらいいじゃないですか。
生き残っていくためには、現状に不平を言っていたり誰かをねたんで足を引っ張ってる暇なんてないぞと強く思います。
「黄金の体験を提供する」「自分が死ぬまでやる」という覚悟の表明
ーー 個人事務所の社名「ゴールドエクスペリエンスレクイエム株式会社」ですが、これは意外なネーミングでしたね。ジョジョの言葉を使うのかと。
これにはもうキン肉マン関係者がざわついていますよ。「キン肉マンオタクであるはずの井上が反旗を翻した!」って(笑)
社名の候補はいくつか考えていて、最初は「ロードローラー」が有力だったんです。これもジョジョネタですけど。
でもtamamixに「ロードローラーってイメージが重いし建設関係の印象もあるから、ちょっと違うんじゃない?」と言われて考え直したんです。
そんな時にお世話になっている人にも相談してみたら「サウナって黄金体験だし『ゴールドエクスペリエンス』でいいんじゃない?」って言ってくれたんです。それはその通りだなと思って、さらに「レクイエム」も追加しようということになりました。
この社名は「黄金の体験を提供する」「自分が死ぬまでやる」という覚悟の表明です。「ゴールドエクスペリエンスレクイエム」というのは、ジョジョの第五部に出てくる主人公のスタンド名です。
そのスタンドの攻撃効果は「攻撃を受けた者は永遠に結果に辿り着かない」というもので、言い換えたら「永遠に過程を経つづけること」なんですよ。
結局サウナって「終わりがないのが終わり」だと思うんです。サウナが好きな人って何か結果を得られるからサウナに入るのではなく、ただ「入っているという過程」を繰り返したいだけなんです。
いつだってその過程の中にいるから、僕はサウナにやってきたお客さんには「おかえり」って言ってあげるんです。
おかえりという言葉で思い出しましたが、僕が熱波をしてるときに「美しいなぁ」と感じる光景に出会うことがあるんです。
たまに、熱波の途中で熱くなりすぎたお客さんが一瞬だけ水風呂にクールダウンしに行くんですね。サウナ室内は満席でパンパンなんですけど、みんな彼のところだけはちゃんと空けてくれていて、クールダウン後に彼はまたそこに戻って来られるんです。
そういう気遣いが当たり前のように成立するのって、むちゃくちゃ気持ちいいことですよね。
ーー 室温とは違う「こころの温かさ」ですね。
サウナで泣く人もいますよ。泣ける場所があるって素晴らしいことじゃないですか。何度でもサウナに泣きに戻ってくればいいんですよ。
一日の中でも、一週間でも一ヶ月でも一年でも、何度でも入っては出てを繰り返せばいいんです。だからこそ「ゴールドエクスペリエンスレクイエム」なんです。
自分の想いを込めるのに、理論や合理性は必要ない
ーー ところで、会社ロゴの井上さんの字ですが、すごく良いですよね。字に想いが乗っているように感じます。
僕は文字を書くとき、「とめ・ハネ」などは一切気にしません。子どものころ国語の先生と言い争ったことがあるんですけど、先生に書き順が間違っていると指摘されたことがあるんです。でもそのとき僕は「書き順って関係あるんですか?」って主張したんですよ。
もちろん連続して文字を書くときの流れとかの合理性として書き順は意味のあることだと思いますが、それを抜きにすれば自分が書きやすいように書いた方が良いに決まっています。
僕は自分が書く文字には自分の意志や想いを込めたくて、それには合理性は必要ないんです。
ちなみに今回書いてみてわかったことがあるんですが、書いた瞬間のフィーリングと時間を置いて観てみるフィーリングって全然ちがうんですよ。
会社ロゴとして採用した字も、書いた瞬間はいまいちだなと思ったんです。でもちょっと時間をおいて観てみたらすごく良く映ったんですよね。
でもまぁ、結局はデタラメに書いているんですけどね。理論を完全に無視しているからこその味が出ているのかもしれません。普通の人は嫌でも理論が染みついちゃっていますからね。
それはプロレスでもそうでしたよ。プロレスには望まれる進行の大枠がありますし、形式美としての決まった動きもあります。
そういった型がないと上手にパフォーマンスできない選手が結構多いんですが、僕はデタラメな方が良い試合ができましたからね。予定調和になるのが嫌なんです。
それは昔からの性格なんだと思います。事前に打合せをしたりして、みんなが納得するものになればなるほど内容が陳腐に感じてくるんですよ。
最初に自分が面白いと思って生まれたものでも、他の人の思惑が入ると最初にあった面白さが失われてしまうことが多いんです。
僕にとってはそれが生理的に気持ち悪いので、「皆で作っているのだから仕方がない」と妥協しつつも、それをぶち壊したい欲求が湧いてくるんです。
ーー それで、実際に独立してみて何か変化したことなどはありますか?
今のところ基本的なところは変わらないですが、以前より夜をゆっくり過ごせるようになったので、飲みに行って人と交流する機会は増えましたね。そういう場を設けて見識の高い人と喋ったりするのは自己を高める上で大切だなと感じます。
そういう意味では私生活の充実度は高まっていると言えます。
ーー 温浴施設からのオファーはいかがですか?
ありがたいことに沢山のオファーを頂いています。毎月レギュラーで熱波する施設が増えていますし、単発でも増えていますね。
今後さらに全国各地に行く機会が増えていくと思います。
(中編につづく)